【事実】京都、宇治市伊勢田町ウトロ51へ潜入 有名不法占拠地区

不動産

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nakamuです。

今日は、所有している不動産物件の手直し、ついでに近隣を散策して来ました。

所有している不動産物件は、京都の宇治市です。

宇治市はここ。

宇治市

宇治市は昔からお茶が有名です。

お茶のブランドで言う所では、宇治茶

次に、宇治市を散策した地域は、伊勢田町ウトロ51番地です。

通称、ウトロ地区

nakamu
nakamu

率直に、日本でカタカナの地名があるの?


と、思われる方が多いでしょう。

それが、あるんです。



この記事は、実際に散策した、経験談である。

ウトロとは?

あくまでも、ウトロは通称であり、正式な地名ではない。

正しい地名は、宇土口(うとぐち)であり、様々な人達の誤読によって、現在はウトロと読まれるようになった。

ウトロとは、昔の在日韓国、朝鮮人の集合住宅地である。

伊勢田町の有名所では、自衛隊の大久保駐屯地があります。

なぜ、宇治市にこのような在日韓国、朝鮮人が集まったと言う歴史を紐解く。

昔の戦時中に、飛行場として計画をされた。

この、飛行場建設で働く人たちは約2,000人いた。

この中でも、約1,300人の朝鮮人が建設労働者として働きながら家族と生活をしていたのがウトロ地区である。



つまり、戦時中の歴史がウトロ地区である。

その時の、建設工事に募集に参加した日朝建設労働者たちと、その家族が使っていた飯場が源流となっている。

その後、日本の終戦後に大韓民国、朝鮮半島へ帰らず、そのまま住みついた人たちが朝鮮人である。

かつて、当地区の住民達は、居住権を主張していたのだが、ウトロ住民の居住権は日本政府にあった。

京都の宇治市にある伊勢田町、ウトロ地区は、現在の日本でも珍しい戦後の処理がまだまだ続いている地域である。

現在では、世帯数が16世帯の20人。

64歳以上の高齢者を含む世帯数は65。
 

実際に現地を見た感じでは、もっと世帯数が少なかった。

その中でも、若い世代は、ウトロから転出をしている。

高齢者は生活保護を受ける事で残っていた。

また、ウトロ住民については、韓国、朝鮮からの強制微用者ではない。
元から日本に住んでいた朝鮮人がほとんどである。

現在、このようなウトロ地区でも、事業場がある。

ハングルで書かれた、南山城同胞生活綜合センター・エルファ。



名前から見ても、韓国、朝鮮の事業者。

HPはこちら。

NPO法人京都コリアンセンターエルファ

地域の周辺をベンツが往来していた。

率直に、闇の匂いがプンプンしていた。

ウトロ地区の現状

ウトロ地区を散策して感じたこと。

金網の中にある廃墟多数。



ウトロ地区前の門構え



地区の中




このように、ほとんどが廃墟である。

ただ、一定数、人が住める状態の物件もあった。

ウトロ地区内を散策していると、このような表示の消化器箱がありました。

普通の消化器であるが、なんとも言えない雰囲気を感じた。

卍のマークに闇しか感じない。



nakamu
nakamu

直視が出来ない消化器は、初めてだった



ウトロ地区と言えども、佐川急便のAmazonが普通に配送されていた。

ネット物販は、日本中、世界中、どこでも配達をするから、最強なビジネスと感じた。

ウトロ理念

ウトロ地区を散策していたら、このような看板があった。

ウトロ理念
●ウトロは在日のふるさと
●ウトロは反戦の記念碑
●ウトロを無くすことは在日の歴史を無くすこと
●ウトロを無くすことは日本の戦後を無くすこと
●ウトロを無くすことは日本人の良心を無くすこと





nakamu
nakamu

これを見ただけで、心拍数が上がった…


恐らく、この看板を突然、見た人はドン引きでしょう。


個人的に、この看板を冷静かつ、1文字づつ、眺めながら「意味合い」を解いていました。


実は日本も、まだまだこのような戦後の遺産があります。

宇治市伊勢田町、ウトロ地区を散策した感想

最初は、そわそわしながら地域を歩いていた。

率直に、戦時中、戦後について、深く考えた散策でした。

ウトロ地区で住みながら、飛行場の建設労働として働いた人達は、どのような毎日を生活していたのか?

日本の歴史を感じる時間であった。

実際に足を踏みれ入れると、独特の雰囲気がある。

興味がある方は、見に行ってみると人生として貴重な体験が出来るでしょう。

かなり、ディープですよ。





京都府宇治市伊勢田町ウトロ51